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福岡地方裁判所 昭和54年(ワ)1762号 判決 1981年8月28日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、一一〇〇万円及びこれに対する昭和五四年六月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五四年六月一六日午後四時ころ福岡市西区脇山二六九八番地先路上を谷口方面から原田橋方面に向つて自転車で通行中、被告の飼犬が原告に近付いて来たため、原告が右犬をこわがつて左に避けようとしたところ、右道路に沿つて流れる椎原川の護岸壁から転落した(以下「本件事故」という。)。

2  原告は、本件事故により、左眼球破裂、ぶどう膜脱出、前房出血、硝子体脱出、顔面裂創の傷害を受け、事故の日から昭和五四年七月一六日まで福岡大学病院で入院治療したが、結局左眼を失明した。

3  被告は、本件犬の飼主であるから、民法七一八条に基づき本件事故により原告が受けた損害を賠償すべき責任がある。

仮に、右法条による責任がないとしても、福岡県動物保護管理条例により、飼主は飼犬を常に繋留しておかなければなならないとされており、被告は、本件犬を繋留しておくべき義務があるのに、本件当時犬に運動させるため首輪と鎖を放して本件犬を放置していた過失があり、本件事故は、被告の右過失によつて生じたものであるから、被告は、民法七〇九条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

4  本件事故による原告の受けた損害は、次のとおりである。

(一) 治療費 一三万六七八四円

(二) 入院雑費 一万三八〇〇円(一日六〇〇円として請求)

(三) 付添看護料六万九〇〇〇円(一日三〇〇〇円として請求)

(四) 逸失利益 二一七二万三六七七円

原告は、本件事故当時満七歳の男児であり、将来一八歳から六七歳まで四九年間就労が可能と考えられるところ、本件事故の後遺症による労働能力喪失率は四五パーセントを下らない。そして、昭和五三年全産業常用労働者男子平均賃金は二五七万二六〇〇円であるから、右年収、稼働期間及び労働能力喪失率を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故による原告の逸失利益の現価を算定すると二一七二万三六七七円となる(ホフマン係数一八・七六五)。

(五) 慰藉料 五三〇万円

本件事故による原告の精神的苦痛に対する慰藉料としては、五三〇万円(入、通院分三〇万円、後遺症分五〇〇万円)が相当である。

(六) 弁護士費用 一〇〇万円

5  よつて、原告は被告に対し、前項の(一)ないし(五)の損害二七二四万三二六一円の内金一〇〇〇万円及び(六)の弁護費用一〇〇万円、並びにこれに対する本件事故の日である昭和五四年六月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実のうち、被告の飼犬が原告に近付いたため、原告が右犬をこわがつて左に避けようとしたとの事実は否認し、その余の事実は認める。本件事故当時原告の乗つていた自転車は、原告の身体からみてかなり大きめであり、しかも、原告は、右自転車に乗り始めてから本件事故当時まで僅か一〇日位の経験を有するのみであつた。そして、本件事故現場付近の道路は、原告の進行方向に向つて緩やかな上り坂となつている。右のような状況からして、本件事故は、原告がハンドル操作を誤つて転落したものと考えられる。

2  同2の事実は不知。

3  同3の事実のうち、被告が犬の飼主であることは認めるが、被告に賠償責任があることは争う。仮に原告主張のように、被告の飼犬が原告に近付いたために原告が転落したものであつたとしても、被告の飼犬は、高さ約三〇センチメートル、頭から尻尾まで約五〇センチメートルのダツクスフント系小犬であり、右犬が原告から三・七五メートルの距離まで歩き寄つて立ち止つており、吠えてもいなかつたというのであるから、右犬には攻撃的動作ないしはこれに準ずる動作は全くなかつたものであり、右飼犬の動きと本件事故との間には因果関係がない。

4  同4は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因事実のうち、原告が昭和五四年六月一六日午後四時ころ福岡市西区脇山二六九八番地先路上を谷口方面から原田橋方面に向つて自転車で通行中、同道路に沿つて流れる椎原川の護岸壁から転落したこと、及び被告が本件犬の飼主であることは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第一号証によれば、原告は、本件事故により左眼球破裂等の傷害を受けたことが認められ、これに反する証拠はない。

二  そこで、本件事故発生の状況について検討する。

1  証人浜本尚樹の証言、原告本人尋問及び検証の各結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故当時小学二年生(七歳)で、本件事故発生当日は、近所の同級生訴外浜本尚樹と各自の自転車に乗つて遊んでいた。原告の乗車していた自転車は、車長約一・四メートル、走行状態における地面からサドルまでの高さが約〇・七五メートル、ハンドルまでの高さが約〇・九メートルあり、本件事故より一〇日ほど前に買求めたもので、原告にとつてはやや大きめで、ペダルに充分足が届かなかつた。

(二)  本件事故発生直前は、原告が浜本より先行して、道路(本件事故現場付近の幅員約三メートル)中央よりやや川寄り(進行方向に向つて左側)を走行していたが、原田橋の手前に差しかかつた時、前方約八・五メートルの道路中央付近に被告の飼犬がいるのを認め、同犬は同地点からやや川の方に寄りながら原告の進行方向と反対に二メートル前後歩いて来たので、原告は、本件犬の左側(原告の進行方向からみて左の意。以下同じ。)を通り抜けようとして左にハンドルをきつたところ、操縦を誤つて川に転落した。なお、原告が転落したころ本件犬は、原告の転落地点路上から前方約三ないし四メートルの道路中央よりやや左寄りに佇立しており、原告が運転を誤らなければ、本件犬の左側を通り抜けて走行することは十分可能であつた。

右認定に反する被告本人尋問の結果は前記証拠に照らしたやすく信用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

2  被告及び原告各本人尋問の結果によれば、本件犬は、体長約四〇センチメートル、体高約二〇センチメートルの短足のダツクスフンド系雄犬で、人に脅威感を与えるようなところはなく、被告は愛玩用として本件犬を飼つていたものであることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

三  ところで、民法七〇九条は一般の不法行為責任を規定し、同法七一八条は動物の占有者の不法行為責任につき故意、過失の立証責任を転換したに過ぎないから、いずれの法条に基づく場合にも不法行為責任が認められるためには、その要件の一部として違法な侵害行為が存在し、かつ、当該侵害行為と損害発生との間に法的因果関係があることを要する。

ところで、本件の場合、前記二1(二)で認定のように、本件犬の加害行為としては、約二メートルほど原告の方向に歩み寄つたに過ぎず、これに同二2で認定の本件犬の形状を考え合わせると、未だ本件犬によつて原告に対する違法な侵害行為が行われたものとは解し難い。また、右のような本件犬の形状、加害行為の態様のほか、前記二1(二)で認定のように、原告が運転を誤らなければ自転車を運転して本件犬の左方を通過することは十分可能であつたことを考え合わせると、本件犬の加害行為と本件損害発生との間に法的因果関係があるものとも認め難い。

したがつて、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないというべきである。

四  よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 湯地紘一郎)

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